●二人の後悔

川島係長のデスクの電話が鳴った。
チラリとオフィスの壁に掛かっている時計を見ながら受話器を取る川島係長。
時計は午後5時50分を指している。
「今日、時間ある? もしあるんなら『すだち亭』に行かない?」
電話の奥で、隣の営業課の武智係長の声がしている。

ピンと来た。 
今日、武智係長は、部長による「リストラ面談」を受けたハズ。
その話しをしたくて飲み屋に誘っているのだ。

隣の課に座っている武智係長の方を見ながら技術サービス課の川島係長が答えた。
「ああ、いいよ。 でも、7時過ぎでないと仕事が終らないよう、俺は。」

「じゃあ、先に行って飲んでるからさあ。 仕事が終ったら来てよ。」

武智係長が、「すだち亭」の一番奥のカウンターで、スーパードライの大瓶を飲み終えた頃だ。 川島係長が暖簾をわけて入って来た。

「いょう! お待たせ!」と言って武智係長の横に座る川島係長。

「何を頼む?」と恋人に会ったような笑顔を見せながら尋ねる武智係長。

「カツヲの刺身ない? おばちゃん!」

「ないよ、今日は。 関鯖ならあるよ。 たまには食べなよ。 美味しいんだから。」

「関鯖かあ。 美味しいけど値段が高いんじゃないの?」

川島係長、懐具合を心配している。

「俺が今日は誘ったんだから、心配しないでいいよ。」と武智係長の助け舟が入る。

女将の薦めもあって関鯖の刺身を食しながらの二人の情報交換が始まった。

川島係長、早速切り出している。
「どうだった、本部長との面談は?」

浮かぬかをして武智係長が答えた。

「ウン、やはり狙われているようだよ、俺は……。」

川島係長 「どういうこと? クビだとはまさか本部長は言わなかったんだろう?」
武智係長 「それはそうだけど……。 会社の置かれた環境の厳しさに加えて、しきりと今後の仕事上の厳しさや処遇上の厳しさを話すんだよ。」

「ハッキリとは本部長の口からは出なかったけど、今回の早期退職優遇措置を活用することも一つの選択肢として考えておく方が良いのではないかという話だったよ。 非常に持って回った言い方だったけどね。」

川島係長 「そうか…。 それで本部長にはどう話したんだ。」

武智係長 「分かりました、よく考えてみますって言うしかなかったよ。 ウン。」

「今日の雲行きでは、やはり俺はリストラ対象者になっているんだ!ということしか頭の中にはなかったなあ。 頭がだんだん真っ白になっていくのが自分でも分かるんだよ。 どうしよう、どうしようということばかり浮かんできてね。」

「私がどうしてそのような話をされなければならないのですか?と聞こうと思ったんだけどね。 そんな余裕なんかなかったなあ。」

川島係長 「そうか…。 お前もとうとう550人の仲間に入ったということだな。」

武智係長 「そうだろうキット。 どう女房に切り出したらいいかなあ? 困っちゃったよ本当に…。 参っちゃったなあ…。」

川島係長 「言うしかないだろう、遅かれ早かれ言わなきゃあならないんだから…。」

武智係長 「そうだよな。 でも驚くだろうな、女房は…。 いよいよ一家心中だよ。」

川島係長 「長男の大学受験に影響の無いようにしなきゃあなあ。 一番今が難しい時期だからね。」

武智係長 「そうだね。 女房を通して知らせるのが一番だろうね…。」

川島係長 「ところで、また本部長とは話し合うんだろう?

武智係長 「来週の水曜日だってさ。 配置転換でも申し出ようかなあ…。 47才のこの歳で就職口なんか到底あるわけ無いだろうしね。 新聞に乗っている求人広告でも、せいぜいあっても40才未満だからなあ。 今、会社から放り出されても、行くとこなんかないよ。 リストラにあった人間なんかどこの会社が雇ってくれるというんだ。 ねえ、そうだろう?」

川島係長 「そういうことだよな。 でもお前は人事の仕事が長いのだから、その畑で仕事を探していけば、無いことも無いのじゃあないか?」

武智係長 「人事の仕事をやってきたとは言え、社会保険関係の事務やら給与計算業務といった仕事が主だもん。 人事制度を作ったとか賃金体系を構築したとかさあ、そんな仕事をしたことも無いしさあ、専門性が低いと思うんだよね。 誰にでも出来る仕事だからね。 女子で充分やりこなせる仕事ばかりだもん、ダメだよ。」

川島係長 「営業の仕事だって出来るだろう、今やってるんだから。」

武智係長 「向かないよ、俺には。 営業の仕事は神経をすり減らすし、数字は背負うし、ストレスがたまるんだ、俺には。」

川島係長 「そんなことばかり言っていたんじゃあ、飯食っていけないじゃないか。」

武智係長 「……。 だから会社を辞められないと言ってるんだよ。 3年前に組んだ住宅ローンもあるし…そうだろ?。」

川島係長 「そうだよな。 俺であってもそう考えるだろうなあ。」

焼酎のお湯割に、キュウリの千切りを入れた「河童杯」のグラスをグイッと一口飲みながら応じる川島係長。

武智係長 「ところで、川島の方は、面談は未だなのか?」

川島係長 「まだ本部長からは何もないんだよ。」

武智係長 「時間の問題だよ、呼び出しされるのは。」

川島係長 「俺も覚悟はしているよ。 でも、こうなったら哀れだよなあ、俺たちは…。」

武智係長 「どういうこと?」

川島係長 「専門性をもっと高めていればなあーと後悔しているんだよ俺は…。
そうしておけば、会社に対してだって、自己主張して残って会社のために頑張ります!って言えるだろうし、反対に、会社がもう必要ないですよと言うのなら、ハイ そうですか? じゃあ応募させて頂きますってさあ、堂々と胸張って転職するだけの自信も持てるしさあ…。 そう言う事を言ってるの、俺は。 分かるだろう?」

武智係長 「そうだよなあ…。 今さら悔やんでも仕方が無いけど、これまで俺たちはそこまでやらなくても良かったんだからね。 定年まで働けると思っていたもの…。 お前の骨はオレが拾ってやるから安心しろ! なんて言う上司がよくいたもんだよな。」

「今じゃ、自分の骨も拾ってもらえるかどうか分かんないのだから、お前の骨どころじゃあないよ! と言われたりしてね。(笑い) 時代は変わったよね。」

川島係長 「少し、社会や企業を取巻く環境の変化に疎かったと言うか、甘く考えていたって言うか、そういうことになるんだよね、俺たちは…。」

武智係長 「俺の場合でも、単なる給与計算業務を、決められた期日までに、誤り無く正確に処理することだけを心掛けてやっていたわけさ。 社会保険事務でもそうだよ。 事務屋に変に徹していたと思うよ。」

「志をもう少し高く置いていれば、給与計算業務を通して、給与体系の改善といった人事企画力を身につけ、人事コンサルタントの道も開けたかもしれないし、社会保険労務士の資格に挑戦して資格をとっておくとかさあ…。」

川島係長 「今さら悔やんでも手遅れなんだけどさあ…。」
「みんな私が甘かったのよ。 目標を持ってそれに向かって努力する奴には克てないのは当たり前だよな。」


ともに47才の同期入社で、いわゆる「標準以下」の評価を受けている二人だ。

「標準以下」の評価とは、現在の仕事においては「落第だ!」という意味だ。

だから「不安」がつのるのは当然だ。