12月17日掲載
12月24日更新
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2月4日掲載


●「年代ごとのキャリア・ステージ」を意識しよう!

「真実のキャリアアップ!」 それは“60才を超える長い職業人生”が到来した時代に、自分の職業観と人生観に基づいて、“誇り” と “確かなキャリア”の方向性を持って、自分らしい「生き方」が実現できる「キャリア・ビジョン」を掲げ、絶えず「向上心」を持って一歩一歩地道にチャレンジしていく生き方が出来てこそ成し遂げられるといえよう。

言い換えれば、「克つ!サラリーマン」の道を歩むことが可能となり、その結果として「働き甲斐」と「暮らし甲斐」を得た「明るく、生き甲斐のある人生」を送ることができるのだ。

暗夜を照らす“一筋のレイザービーム”、それが「キャリアを強く意識した働き方」なのだ。 

どのように生きたら、満足する自分がいるのか?

それには、「年代別のキャリア・ステージ」を意識して、今、自分はどの年代のステージに立っているかを先ず確認して欲しい。

そして次に、そのステージにふさわしい「キャリア・プラン」を立てることだ。

自身の目指す「キャリア・ハーバー(目的港)」を先に明確に決めて、そこに行き着くまでの航路を考えることによってムダはグーッと少なくなり、安全に「キャリア・ハーバー」に着く可能性が高まる。

「キャリアの航海」は、必ずしも「キャリア・プラン」どおりに進むことは少ないかもしれない。 イヤ、むしろ途中で変更をしなければならないケースが多多でてきもする。

けれども、最も重要なことは、自身が現在どこを航海していて、どの「キャリア・ハーバー」に向かっているのかを、いつも知っていることだと思う。

船の舵を握っているのは、自身が属している会社や団体ではなく、自分自身だ!という現実を常に認識していることが大切なのだ!

そこで、各年代毎の「キャリア・ステージ」についてみてみよう。

(1)「30代前半まで」のキャリア・ステージ

この時期は、いわば【キャリアの仕込み期】だ。
主に会社から与えられた仕事を通じて、キャリアを仕込んでいくステージ。
愚直かつ誠実に、求められる仕事の質を実現していきながら、これからのキャリアの方向性についても「探索」していくことが大切だ。

仮にキャリアの方向性を明確に持っている場合でも、会社から与えられた役割と自身の「想い」とがアンマッチの場合があるだろう。

しかしその場合でも、「少しの辛抱」が、新たなチャンスを招き寄せる場合だってあるものだ。

「仕事を通じて体験する辛抱」は、自身の人間力をアップさせていると前向きに考えて、アグレッシブに仕事に没頭する、それが「人間的な仕込み」にも繋がっていく。

しかし、無理は禁物。
会社の風土や嫌で耐えられない上司から脱出できないと判断したなら、サッサと会社を変えるべきだ。
「丸い穴」には「丸い釘」しかフィットしないのだから。

一方で、キャリアの方向性の探索をしていく中で、興味を抱いた領域が出てきたならば、迷わず新しいキャリアを作る為に「自己投資」していく時期でもある。

お金をかけてでも、貪欲に知識や技量を吸収する努力を惜しまぬことだ。
年令が高くなればなるほど、他人に教えを請うことが出来にくくなるものだ。

「仕込むべき時期」に仕込まねば、「後悔」という二文字が待っているだけだ。

この「キャリア・ステージ」では、仕込みに努力していくことは、自身の日常活動領域を広めることになり、新しい「人脈」が結果として出来上がってくるものだ。 これはこの後、自身の宝となって、職業人生を限りなく充実したものにしてくれる筈だ。

(2)「30代半ばから40代半ばまで」の
キャリア・ステージ

この時期は、【キャリアの活用&研磨・拡充期】

「仕事の軸」も構築できて、キャリアの方向性も固まり、具体的な「キャリア・ハーバー(キャリアの目標)」に向かってチャレンジしていく時期。
最も前進意欲があふれている時だ。

自分の「強み」を意識して、それに磨きをかけて、一つでも多くの「凄み」を身につけていくと同時に、更なる高い目標を掲げて「キャリアの幅」を広げ、「雇用されうる能力」のアップを図っていくのもこの時期だ。

「生意気なやつだ!」と思われるぐらい「自己主張」をし続けなければいけないステージでもある。

仕事上のことで「自己主張」出来るということは、それだけ「仕事の軸」に自信を持っていればこそ出来ることなのだから。

「自己主張」できない、「自己主張」が弱い、ということは、まだまだ「強み」自信が不十分か「キャリアの方向性」について迷いがあるか、「意欲」が不十分かだ。

「克つ!サラリーマン」になれるか、はたまた「負け! サラリーマン」に成り下がるかの分岐点なのだ。

このキャリア・ステージにおいては、同時に、外部からの転職の勧めや、ヘッドハンターに目をつけられアプローチを受けるときでもある。

それだけに「心がゆれる」時でもあるが、シッカリとした「キャリア・ビジョン」を持っていれば、ビジョン実現の為にはどの進路がベストなのかの判断が容易につくものである。

目先の利益に走ると、あとあと大きな罠にハマッテしまう危険なステージでもある。

いずれにしても、次なる40代半ばからのキャリア・ステージの土台作りをしておかなければならない時だ。

(3)「40代半ばから50代になる前まで」の
キャリア・ステージ


この時期は、【キャリアの燃焼&収穫期】

同時に、これからの40年は、「人生の後半戦!」

これまでのステージで蓄えたキャリアの資産をフル活用して、具体的な大きな成果を更に生み続けて、その成果を自分自身の手の中に享受していく時期、大相撲で言えば、「三役力士」のポジションを獲得する時期だ!

即ち、「人生二毛作」における「最初の刈入れの時期」にしなければならないのだ。

一方では、ハッキリと「克ち組」「負け組」が顕在化するステージでもある。

もしも何も収穫すべき果実がないとするなら、「会社にとって御用済みの人材」と自覚し、危機を感じ取って「心機一転」を図らねばならない。

これまでの「成功体験」の上に「キャリア・プラン」を再設計し、「雇用され続ける能力」をアップさせる為に、具体的にその取組みをスタートしなければならない。

「オレは、克ち組に入っている」と思えば、もう一段高い「キャリア・ビジョン」を立て、その達成時期を3年後に設定して、「野心」に向けて「突き抜けていくステージ」だ。

仮にでも「今の成果を享受するだけで充分だ。 このままで良い!」という気持ちを抱くとしたら危険だ。

「このままでよい!」という気持ちは、「もう努力しなくてもよい!」の気持ちに変わり、急速に自身の商品価値を下げかねないからだ。

(4)「50代」のキャリア・ステージ

この時期は、これから先の職業人生を見据えた【キャリアの保守メンテナンス】または【キャリアの再構築期】

「職業人生=キャリア人生」の分岐点でもある。

60才以降の職業人生プランまたはライフプランを睨んで、これまでに築き上げてきたキャリアをベースに、何を準備し、何を目指すべきかを考えて、「最後のキャリア・ビジョン(60才以降の目標)」を描き、その実現に向けた取り組みを開始する、即ち「最後のキャリア・ハーバー」に向けた航海に出る時期だ。

「あと定年の60才まで〇〇年だ!」「だから今さら〜〜してもしょうがない…。」「これからは、軽く仕事を流していきたい…」

この台詞が出るようであれば、定年まで「雇用され続ける能力」の維持ができるかどうかも疑問になってくる人も出てきてしまうのが実情だ。 個人としての危機管理ができていないサラリーマンとも言える。

リストラ対象になりやすい、働くスタンスそのものが『引き算思考』の人材だ。

部下や後輩は、たまったものではない。
彼らに陰で「かさぶた」呼ばわりされるのも、こういったサラリーマン達だ。

『引き算思考』の考え方をするのではなく、60才以降のキャリア・ビジョンをシッカリと立てて、「いまから〇〇年後には、こうありたい、こうなっていたい」というキャリア・ビジョンを立て、それに向かって、今何をすべきか、何をしておくべきかを考え、行動に移すという『足し算思考』で、「キャリアの再構を図る時期」でありたい。

この『足し算』の考えで、いかにアグレッシブに50代を走りきるかが、「65才まで現役の時代」を生き抜く「克つ! サラリーマン」の生き方ではないだろうか。

この時期の生きるスタンスこそ、次なるステージ、即ち、「60才代以降の人生」を決定づけるものとなっているのも事実なのだから。

いたずらに会社の仕事のみの、狭い視野に立って働き続け、60才の定年を迎えた時、またはその寸前になって「さて、これからどうしようか?」では、問題外。

このような無計画でも何とかまかり通る時代ではもはやない。

“無手勝流のスタンス”ではなく、「人生90年時代」の「長い眼計画」をハッキリと立て、未来の自分の人生のために今の50代をどう生きていくかを真剣に見つめ直して新たなチャレンジを定年前にスタートさせ、一歩一歩積み上げていく人が「克つ! サラリーマン」なのだ。

「この年令になって今さら…」という考え方ではなく、「よし! 今から…」と「志し」を立てれば必ず目的は達成されるはずだ。

なぜなら、中学校の3年間+高等学校の3年間+大学の4年間と同等の10年という充分すぎる時間軸があるのだから、真摯に努力さえすれば、それ相当の成果が出る、充分モノになるのは当たり前というものだ。

この「未来」に関して人は「3種類のパターン」に分けられるという。
一つのパターンは、「未来を、ありのままに受け入れる人」。
もう一つのパターンは、「何かを実現させようとする人」。
三つ目のパターンは、「何が起きたかを不思議に思う人」、だそうだ。

未来に対して「何かを実現させようとする人」でありたいものだ。

(5)「60から60代半ばまで」のキャリア・ステージ

「50代」で、キャリアの保守点検整備やキャリアの再構築を図ったり、あるいはまたキッチリとした「キャリア・プラン」または「ライフ・プラン」を立てて、このステージに突入するわけだが、この60〜60台半ばまでのステージの本質は、「定年うしろ倒し時代」という時代変化に対応して、「隠居期」ではなく、現役バリバリの【キャリアの爛熟・収穫期】と位置付けて欲しい。

「克ち抜いてきたサラリーマン」だけが到達することが出来る「キャリアの爛熟・収穫期」でもあるのがこのステージだからだ。

いわば、職業人生の総決算期。

「オイオイオイオイ! 私は、もう働く気はさらさら無いよ。」「会社に入社してから約40年間の『懲役』をようやく終えたのだから、『娑婆での余生』を仕事以外の好きなことに費やしたいんだ! 一度きりの人生だからね。」

たしかに「晴耕雨読」期と捉える人も多い。

だが人にはそれぞれの「価値観」があり、その結果として様々な「幸福観」がある。

60才を過ぎても働きたい、働かなければならない、という人たちも多い。

また、「生涯現役時代!」と叫ばれて久しい。

15才から24才までの年代層に次いで失業率の高い層が、60〜64才の年代であることをみてもこのことが分かる。

政府は年金の支給開始年令の「後ろ倒し」に伴って、企業に対して60才以上の高年齢者の雇用確保措置を義務付ける「改正高年齢者等雇用安定法」の施行に踏み切った。

これにより、平成25年度までに段階的に、高年齢者を65才まで雇用を確保すべきことになった。

また同時に、会社の都合で解雇などにより離職したり、定年退職者がこれからも働くことを希望した場合には、「求職活動支援書」なるものを交付して、再就職を援助するプログラムの内容を、本人に交付して周知することも法制化された。

「年金」の満額受給まで空白期間を作ることなく、60才以上の元サラリーマンの人達にも「職業人生の延長戦」突入を図らせて、65才からの年金生活者へのソフトランディング化を推し進めているためだ。

ここで60才以降、仕事ととの関わりを絶った場合のことを考えてみよう。

平均寿命が80才の男子の場合、後半戦の第二の人生に、いや応なしに登場してくるのは「有り余る時間との戦い」だ。

60才から80才までの約20年間の「自由時間は7〜8万時間」と言われている。

「7〜8万時間」といってもすぐにはピントこないが、この「7〜8万時間」は、「就職してから定年退職までの総労働時間」に匹敵するという。

60才以降、あなたは仕事とのかかわりを絶ったときに、この有り余る自由時間を有意義に使える自信がありますか?

「心の張り」を失うことはありませんか?

「心身ともの健康」を維持することが出来ますか?

一説によれば男性の場合、60才定年で仕事から離れた人は、仕事を続けている人に比べ、65才まで健康な状態で到達する比率が低いのだという。

全力疾走で60才定年まで働ききって、定年を迎えて仕事のない生活に入るのは、いきなり急ブレーキを心身にかけるのと同じようなものかもしれない。

女性に比べて男性の場合、環境変化に適応する力が低いからとも言われているから、なお更のこと「65才」が命の一つの節目になっても不思議ではない。

「仕事」とのお付き合いを「心の張り」にして、「健康」で固い「経済的基盤」を維持し続けることが出来れば、「幸せな3K」に包まれた「キャリアの爛熟期」を享受できるというものだ。

今の60代は若い。 昔に比べれば10歳は若返ってもいる。

昔は「55才定年」時代。 これからは「65才定年?」時代。 もしも「10歳若返っている」というのが正しければ、ちょうどつじつまが合うことになる。

「生涯現役」時代とは、「お迎えが来るまで働く」ということ。

昔流で言えば「終身現役・終身雇用」に相当することだ。 

「弔慰金」(現代流では、『退職金』に相当)が支払われて、仕事と人生からの真のリタイアである。

「60から60代半ば」のステージを、実りあるものにしたいものだ。

そのためには、60才到達前からの、自身のキャリアに対する心の構えと、目標に向かっての「小さな努力の積み重ね」が、このステージの明暗を決めるといえよう。

(6)「60代半ば以降から70代」のキャリア・ステージ

「60代半ば以降から70代」は、「キャリアの社会還元期」「自身の価値観」に立って、これまでの長い職業人生で培った豊富で質の高いキャリアを、出来れば社会貢献に振り向けていく「清いキャリアのステージ」でありたい。

「もうイヤになっちゃうんですよ! うちの主人のことなんですよ…。」

「東大の教授を定年で辞めてから、私立大学の教授になったんですよ。」

「最初のうちはまた学生に教えられるって張り切って大学の教壇に立っていたんですが、余りにも学生の勉強意欲がないのに失望してしまってね、それで教壇に立つ意欲を無くして大学を辞めてしまったんですよ。」

「それからというものは、家で“三食昼寝つき”の生活が始まったんですよ。」

「昼といえば、テレビを見ながらワイン。 夕食になれば、これまたテレビを見ながら晩酌。 

普通にテレビを見ているならまだしも、ブラウン管に向かって盛んに文句や持論を展開しては憂さ晴らしの日々ですよ。」

「食事のおかずや酒の肴が、やれ不味いのなんのと言いながら、全く外出すら一人でしなくなってしまって、年中家の中にいながら文句をいう日々ですよ。」

「たまに外出するといえば、スーパーやデパートに買出しに行く私の後ろに、金魚の糞のようにまつわりつきながらついて来るといった有様ですよ。」

「私は、三食や酒の肴の準備やら、おかずに文句を言われたりの毎日で、ホトホト神経が疲れてしまいました。」
「これからもこんな毎日を送らなければならないと思うと、もう堪りません!」


ご近所の奥さんの話である。

東大工学部教授を定年退官したならば、これまで公費で大学4年間を過ごし、その後も公費で学問を究めさせて頂いた恩返しとして、社会にどのような形でも良いから奉仕・還元していくというなら救われもするが、60代前半でこの有様である。

「人としての生き様」が正直に出るステージだ。

人が生きていくには誰かを必要とする。

同時にまた、誰かに必要とされることで“強い生きがい”を感じる。

「気概」と「強い目標意識」と「達成意欲」、「あくなき好奇心・探究心・向上心」がこのキャリア・ステージでも、「立派な生き様」を現出する。

ところで、今、あなたは どのステージに立っておられますか?